現在ポルトガルのクラブチームで活躍し、FIFAワールドカップカタール大会では、日本代表選手にも選ばれた守田英正選手。
フィジカル面を活かしたパワープレーで注目を集めていますが、実は高校時代は無名選手だったのです。
今回は、守田英正さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
守田英正の学歴まとめ!出身中学はどこ?
守田英正選手は、地元にある高槻市立清水小学校卒業後、高槻市立第九中学校に進学しました。
中学時代の顧問が、とても熱心に指導してくれるとお兄さんから聞いていたので、中学校ではその先生に教えてもらいたいと思ったそうです。
お兄さんもいたサッカー部は全国レベルではなかったのですが、大阪府内では強いチームだったといいます。
守田英正選手は、5個上のお兄さんの影響から、幼稚園生でサッカーを始めます。
地元にある高槻清水FCに所属し、ポジションは今と同じボランチでした。
当時からかなり攻撃的だった守田英正選手。もともとは両親、姉がテニスをしていたので、テニスという選択肢もあったのですが、いつの間にか蹴ることが好きになっていたそうです。
サッカーを真剣にやる少年でしたが、遊ぶことも好きだったということで、割とやんちゃだったそうです。
はしゃいだり、人目を気にせず迷惑をかけることもあって、しょっちゅう怒られていたそうです。
両親に怒られても関係ない!くらいのやんちゃ坊主で、今思うと迷惑かけたな・・・と思ったといいます。
小学生時代もボランチでプレーしていた、守田英正選手。水を得た魚のように、ピッチを走り回っていたそうです。
プロを目指したきっかけも小学生時代で、ガンバ大阪のジュニアユースを受けたものの、不合格となってしまいました。
このとき、クラブチームに入りたいという考えがなうなり、兄がプレーしていた中学に入ることを決意します。
中学時代はこれまでの人生の中で、サッカーに1番打ち込んだ時期だそうです。
守田英正の出身高校は偏差値58の金光大阪?
守田英正選手の出身高校は、金光大阪高等学校(偏差値45~58)です。
地元の大阪府高槻市にある高校で、中高一貫の私立校となっています。
設置学科は「普通科コース」「特進コース」があり、それによって偏差値が変わってくるようですね。
金光大阪高等学校は文武両道を重んじており、部活動が盛んです。サッカー以外でも野球部や吹奏楽部は、全国大会に出場するほどの強豪校です。
卒業生には、川崎フロンターレの家長昭博選手や、サンフレッチェ広島の林卓人選手がいます。
サッカーの強豪校と言われる名門に進学した、守田英正選手。
しかし、高校時代は特に目立った活躍はなく、守田英正選手自身も「全国区の選手でもなかった」と話しています。
「全国大会にも出たことがなければ、全国区の選手でもなかった。埋もれていたと言うか。下手ではなかったですけど、特に上手くもない、という感じでしたね。高校はあまり名の売れていた感じでなかったです。下手ではないと思っていましたし、ボールを触ること自体はすごく好きでした」
ゲキサカより引用
自身を「埋もれていた」と、自虐的に話していましたが、対戦相手からは高い評価をされていたそうですよ。
高校3年生の時にはサッカー部キャプテンとなり、背番号10番を背負っていました。
中学時代とは一転、高校時代は壁にぶつかってしまったと振り返る、守田英正選手。
「高校で全国制覇できればいい」という気持ちだったのですが、結局高校3年間で全国大会出場ははたせず、県ベスト4止まりでした。
守田英正選手は、プロへの道はまだまだ先だと感じつつ、プロを諦めませんでした。
両親にも「そんなんじゃ無理」と言われましたが、「いつか絶対見返してやる」と思ったそうです。
金光大阪高等学校の岩松哲也監督は、当時の守田英正選手について、「実力は並よりやや上だったが、責任感の強さと走る力が際立っていた」と語っています。
「中体連の子は『自分は中体連だから』と引け目を感じている子が多いんですけど、守田はその中でクラブチーム出身の同級生たちに負けずにコツコツと積み重ねをしてきて、芽が出てきたのかなと責任感が強く、1年生の時から代表者的な立ち位置もやっていましたし、キャプテンも務めましたから。」
ゲキサカより引用
守田英正選手はもともと、行動で示すタイプで、走る力についても「陸上部よりも早く走れた」と話していました。
サッカー選手は足が速い人が多いですが、岩松哲也監督が見てきた30年間の中でも、守田英正選手はトップクラスだったそうです。
また、守田英正選手のように、クラブチームではなく叩き上げで頑張っている選手は、世のサッカー少年の励みになると語っています。
決して目立った選手ではなかったといいますが、努力してサッカーに真摯に向き合った結果、世界で活躍する選手になったのですね。
守田英正の最終学歴を確認!大学には進学した?
守田英正選手は高校卒業後、流通経済大学法学部ビジネス法学科(偏差値38)に進学しました。
もっとサッカーを学ぼうと、サッカー部が強豪だったこの大学を選んだようですね。
この大学は、茨城県龍ケ崎市に本部を置いており、経済学部や社会学部、スポーツ健康学部などがあります。
サッカーやラグビーなど、課外活動にも力を入れているようで、卒業生には多くのアスリートがいます。
- 中井貴裕(柔道家)
- 笠原雄太(ラグビー選手)
- 片岡安祐美(女性野球選手・タレント)
- 阿部伸行(サッカー選手)
- 染谷悠太(サッカー選手)
守田英正選手は高校時代に全国出場できず、実力不足を感じ、プロになるために、流通経済大学への進学を決めたそうです。
プロになるのであれば、プロを輩出するような伝統ある大学に行くべき、と思ったそうです。
また、高校2年生のときに、流通経済大学付属柏高校と対戦し、その強さに衝撃を受けたことも理由の1つでした。
この時に対戦した相手と、ともにサッカーをやりたい!という思いから、流通経済大学進学を決めたのです。
サッカー推薦ではなく、セレクションを1から受けて入学を決めました。
流通経済大学に入学してからは、とにかくサッカーが楽しくて仕方がなかったそうです。
自分より数段上手な選手が多数いる中で、刺激を受けたことが、今の守田英正選手に活かされています。
最初は決して順風満帆とは言えず、大学1年生のときは、全日本大学サッカー選手権でトップチームに上がったものの、出場はできませんでした。
中々チャンスをつかめなかった守田英正選手ですが、ボランチ像を変えたことが、転機となります。
守田英正選手は、小学生のころから、ずっと攻撃型ボランチとしてプレーしてきました。
周囲を動かせることがボランチの魅力でしたが、大学では通用せず、守備に重点を置くチームだったのです。
そのため、攻撃型ボランチではなく、守備型ボランチに切り替えました。
攻撃面でチームから指摘されていたのは「ラストパスも出せないし、シュートも打てない。決定的な仕事ができない」ということでした。練習しても上手くならなかったのが現状で、正直ボランチは無理かなと思う時もありました。
川崎フロンターレ OFFICIAL WEBSITEより引用
ずっと自分の課題だった、ボランチのスタイル。どうするかと考えた結果、守備に特化したボランチになろうと決めます。
攻撃型ボランチから守備型ボランチに変貌を遂げたことで、着実に実力をつけ、ボールを奪えるのがどんどん楽しくなっていったそうです。
大学No1ボランチの異名を我がものにした、守田英正選手。
大学4年生で、全日本大学サッカー選手権で優勝を果たし、大会最優秀選手賞も受賞しています。
いくつかのプロクラブチームからオファーを受け、悩んだ末に、川崎フロンターレへの入団を決めました。
「ボランチとしてだけでなく、大学ではサイドバックやセンターバックとして出場することもあり、他のポジションもこなせるのが強みだったので、それを理解してくれたのが川崎フロンターレだった」
Yahooニュースより引用
ボランチ一本で勝負したいという思いがある一方、長谷部誠選手のように、どこでも問題なくできる選手になりたい!という思いもあったそうです。
川崎フロンターレの先輩・中村憲剛選手も、「これといった特徴のないところが特徴」と、守田英正選手を評価しています。
攻守ともに、複数のポジションをこなせるというのは、強みですよね!
流通経済大学卒業後、川崎フロンターレに入団するや否や、追加召集されて日本代表デビューを飾っています。
まとめ
今回は、守田英正さんの学歴について、紹介しました。
現在ポルトガルで活躍している守田英正選手ですが、高校時代は全国大会への出場経験はなく、無名の選手だったようです。
しかしプロ入りをあきらめず、大学に進学し、その結果高い評価を獲得する選手となりました。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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