川崎フロンターレからポルトガル1部リーグへ移籍し、世界を舞台に活躍している、守田英正選手。
強いフィジカルと対人戦の強さを武器に、日本代表としても活躍が期待されますね。
そんな守田英正選手ですが、家族構成が気になっている方も多いと思います。
今回は、守田英正さんの家族構成について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
守田英正の家族構成を確認!
守田英正選手は、両親とお兄さん、お姉さんの5人家族で育ちました。3人きょうだいの末っ子だったのですね!
もともと、両親がテニスプレーヤーだったことから、一家でテニスをやることもあったそうです。
お姉さんはそのまま学生時代もテニスをやっていたそうですが、5つ年上のお兄さんと守田英正選手は、ずっとサッカーをしていたそうです。
守田英正の兄弟も確認!兄もサッカー選手?画像
守田英正選手には、お兄さんとお姉さんがいます。
お姉さんの情報はほとんどありませんでしたが、お兄さんは5歳年上の和正さんです。
お兄さんがサッカーをしていたことがきっかけで、守田英正選手も2歳のときにサッカーを始めました。
そのまま地元の大阪府高槻市にある、高槻清水FCに所属し、プロを目指すことを決めていました。小学生ですでに、プロを目指すとはすごいことですね。
お兄さんは現在、サッカーをしていないそうですが、高槻北高校の保健体育教員となり、サッカー部の監督もつとめています。
守田英正選手はお兄さんと同じ中学に進学し、サッカー部に所属していました。
当時は毎日、お兄さんとサッカーボールを蹴る日々だったそうですよ。
お兄さんの後をずっと追いかけたことで、クラブチームではなく、中学の部活を選んだ守田英正選手。
そんなお兄さんとは、大の仲良しだったそうです。
お兄さんいわく、守田英正選手は「かっこつけ」「頑固」「脳内ハッピー野郎」とのこと。
海外で奮闘する守田英正選手を、「欧州から楽しみをもらっています」と話していました。
しかし昔は、サッカー一筋で生きる弟のことが、心配でたまらなかったそうです。
和正さんは教員の傍ら、28歳まで社会人リーグでプレーしていたそうです。
「弟は僕のことを一度も追ったことはないでしょう。小6の兄より、小1の弟の方がうまかったですから」と振り返る。守田が2歳でボールを蹴り始めたのは、小学1年でサッカークラブに入った和正さんが練習相手を欲したから。半ば強制的なスタートが「英才教育」となり、めきめきと成長した守田は中学生になると、家族にプロを目指すと宣言した。
ゲキサカより引用
守田英正選手は練習から帰宅し、カバンを玄関に置くと、すぐにまた練習に向かったそうです。
陰でこっそり練習するタイプで、仲間や他人に努力している姿を、見られたくないタイプだったそうですよ。
守田英正の両親はどんな人?職業も確認!
守田英正さんの両親は、元テニスプレーヤーでした。
その影響で、守田英正選手もラケットを握ったことがあるのですが、打つことよりも、“蹴る”ことが好きになっていったそうです。
そんな守田英正選手のご両親が、どのような職業なのか気になりますが、詳細な情報はありませんでした。
守田英正選手は、大学2年生までは全くの無名選手だったのですが、3年生から頭角を現し、ユニバーシアード日本代表となります。
また、インカレ優勝後に特別指定選手として、川崎フロンターレに入団しています。
サッカー日本代表選手は、幼少期から地元で有名な選手だったことが多いですが、守田英正選手は違ったようです。
幼少期はやんちゃな子で、はしゃいだり迷惑かけることも多く、よく怒られていたそうです。
地元の高槻清水FCでは、ボランチでプレーし、小学校~高校までは、これといった戦績が残せずにいたそうです。
「あの時点ではプロになるなんて想像できなかった。さらに海外でプレーして日本代表になるとは。『全国大会出場』と『Jリーガー育成』が目標だったが、その二つともを超えてくれた」
ゲキサカより引用
高槻九中時代に指導した隠岐尚武監督は、今でも守田英正選手と連絡を取り合い、J1川崎フロンターレ時代にはスタジアムへ足を運んだほどでした。
「高槻北摂後援会」では発起人となり、教え子の成長を見守っているようですね。
金光大阪高等学校の岩松哲也監督は、守田英正選手は実力はやや上くらいだったものの、「責任感の強さと走力がすごい」と話していたそうです。
クラブチーム出身でない日本代表はめずらしく、中体連出身の選手は、『自分は中体連だから』とマイナス思考の子が多いそうです。
しかし、守田英正選手はその中でも、同級生たちに負けずにコツコツ練習してきました。
その結果、芽が出ることとなり、川崎フロンターレに入団後は、追加召集によって日本代表デビューを飾っています。
まとめ
今回は、守田英正さんの家族構成について、紹介しました。
両親と姉、兄の5人家族で育ち、幼いころから兄の影響で、サッカーに打ち込んできたようですね。
兄は現在教職員とサッカー部顧問をつとめており、その存在がなければ、守田英正選手は誕生しなかったかもしれません。
これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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