山縣亮太の学歴は?偏差値70超えの修道で頭いい!出身大学は慶応で学部は?

山縣亮太さんといえば、100m走で日本新記録をたたき出し、短距離走界のエースとして注目されていますよね。

男子陸上界で最速の男、そしてイケメンということで、女子人気もすごいことになっています。

そんな山縣亮太さんが、どのような学生時代をすごしてきたのかが気になりますよね。

今回は、山縣亮太さんの彼女について調査しました!ぜひ、最後までご覧ください。

山縣亮太の学歴を調査!出身中学は修道?中学時代のエピソードも

広島県出身の山縣亮太さんは、鈴が峰町の鈴が峰小学校に通っていました。

出生時は未熟児だったそうで、小学校に入学するまではしょっちゅう病気になっていたそうです。

両親は常に山縣亮太さんのことを心配していたのですが、小学生になるとその運動神経を発揮し、当時からかなり足が速かったそうです。

小学1年生のときには、子犬と遊んでいると母犬が怒って追いかけてきたのですが、その犬より速く走って逃げ切ったそうです。

広島カープの大ファンだったため、少年野球に所属し、プロ野球選手を目指していました。

しかし、小学3年生のときに、2つ上のお兄さんが広島市スポーツ大会の100m走で7位に入賞し、賞状をもらっているのを見て、うらやましいと思ったため陸上を始めたそうです。

小学4年生になると、すでにしっかり体幹が鍛えられている走りを見せており、「広島ジュニアオリンピアクラブ」にスカウトされます。

一番足が速かったので学校代表で大会に出場すると、スニーカーだったのにもかかわらず、スパイクを履いた選手たちに勝ってしまったそうです。

また、広島市の陸上大会短距離走で優勝したり、日清食品カップでは8位に入賞したりと結果を残すようになりました。

幼少期は地元・広島で野球と陸上に打ち込み、「走り」に専念した小5で100メートル全国大会8位。
非凡な素質を見せていた傍らで、学習塾に通っており、親の勧めもあって中学受験した。
合格したのは修道中。一貫校の修道高は総理大臣を始め、政治家、実業家など著名人を多数輩出し、東大合格者も出る名門だ。
bloodtype-labo.comより引用

しばらく野球と陸上の掛け持ちをしていたのですが、「走ることは自分の天職」と考え、小学5年生から陸上一本に絞るようになったそうです。

小学校卒業後、広島県内有数の進学校である私立の修道中学校に入学します。

この学校は中高一貫校で、偏差値63という難関校です。

「走ること」と「学ぶこと」。両者において、どんな相関性があるのか。
勉強について、山縣は「そんなに得意だった訳じゃない」と謙遜するが「性格的に凝りやすい。がっと入り込んでしまう。要領が良いタイプではない部分もあって、やり始めると止まらなくなるタイプだった」と“学びのキャリア”を振り返る。
bloodtype-labo.comより引用

当時の山縣亮太さんは、人通りの少ない深夜に中腰の姿勢で車を待って、車が近づいてきたら30mほどダッシュする、ということを繰り返していました。

うまくイメージ通り走れれれば、車にも追い付かれなかったそうです。

山縣亮太の出身高校は修道高校で偏差値70超えで頭いい?

中学卒業後、内部進学で修道高校(偏差値70)に進学します。東大や京大など名門大学へ進学する生徒も多いそうです。

当時の彼女にふられてしまい、坂道ダッシュをひたすら繰り返していたところ、高校1年生で10秒95をマークします。

記録が出たのが嬉しかったため、彼女への未練がなくなったそうです。

その後も広島県高校総体、大分国体で優勝したり、世界ユース選手権でも入賞します

そして、高校時代は広島県高校総体3連覇を成し遂げるなど、輝かしい成績を残して地元でも有名人となりました。

部活に打ち込む一方、勉強にも精を出し、300人いる生徒の中でも成績は常に50番以内でした。

「その時は完璧主義なところがあった。年齢とともに完璧じゃない、人間らしさに魅力を感じ、価値観も変わって来るものだけど、当時はとにかく“何でもできることがカッコいい”という理想があって『(勉強も部活も)やってやろう』と思っていた。得意科目は社会、世界史でしたね」
芸能人学歴.comより引用

スポーツ強豪校となると部活優先となり、勉強が後回しになることもあると思いますが、山縣亮太さんはしっかり文武両道を貫いたのですね。

ちなみに山縣亮太選手の父親も修道高校出身だそうで、親子で母校を訪問したこともあります。

山縣亮太の出身大学は慶応!学部は?学生時代のエピソードも確認

高校卒業後、山縣亮太さんは慶應義塾大学総合政策学部(偏差値は70)に進学します。

慶應競走部は自由な競技環境だったため、「自分のやりたいことができる」と思い、進学したそうです。

日吉キャンパスの通学路には坂があるのですが、そこで毎日練習に励んでいました。そして競争部のキャプテンも務めています。

大学時代はヘルニアになってしまい、肉離れも何回も起こすなどつらい時期もありました。

なかなか思うようなタイムが出ず、スターティングブロックをけれるかも危ういという日々を過ごしています。

桐生選手やライバル選手にどんどん先を越されてゆき、どんどん自信がなくなっていってしまいました。

しかしその後、腰の治療に専念し、また好成績を残すようになります。

2012年にはロンドンオリンピックに出場し、翌年には日本選手権で桐生選手に勝って初優勝を果たします。

山縣亮太さんは料理も得意で、釣った魚を自分で料理したり、しっかり栄養の管理をしています。

大学卒業後、山縣亮太さんはSEIKOに入社し、2016年には男子400mリレーにて銀メダルを獲得しました。

2017年も10秒台達成した回数で桐生選手を追い抜き、その後も数々の大会で優勝しています。

2021年には、男子100mの決勝において、9秒95という日本新記録をたたき出しました。

9秒台を出す際は、原動機付き自転車と同じスピードが出るといいますから驚きです。

2021年6月25日にヤンマースタジアム長居で開催されれた陸上日本選手権では、10秒27で3位という結果。オリンピック代表に内定したものの、「本当は優勝したかった」と悔しさをこぼしていました。

「厳しい戦いになると思っていたが、代表選考会で代表を勝ち取れたこと嬉しく思います。いつも通り平常心を保ってレースを運ぶことを心がけていたが、緊張しました。今年は自己ベストも出していいて、手応えを掴んでいる。五輪ではしっかり自己記録を更新して決勝に進みたいと思います」
スポーツ報知より引用

東京オリンピックでの活躍もたのしみですね!

まとめ

今回は、山縣亮太さんの学歴について、紹介しました。

小学生時代から足が速く陸上に目覚めますが、広島県の進学校に入学したりと成績も優秀だったことが分かりました。

高校卒業後は慶應義塾大学に進学し、陸上でも日本記録を出すようになります。

これからもますます活躍していってほしいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です