大人気スリーピースバンドの「10-FEET(テンフィート)」。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」のエンディング曲「第ゼロ感」が大ヒットとなり、紅白歌合戦への出場も話題になっていますね。
ボーカル・ギターのTAKUMAさんですが、家族構成が気になっている方も多いと思います。
今回は、TAKUMAさんの家族構成について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
TAKUMAの家族・兄弟構成を調査!生い立ちは?
京都府出身のTAKUMAさんは、両親とお姉さんの4家族で育ちました。
TAKUMAさんの本名は、三田村 卓真(みたむら たくま)さん。
逞しく真面目に育つように、「卓真」と名付けられたそうです。
TAKUMAさんは小学校6年生のときに、Bon Joviを聞いたことがきっかけで、ロックに魅了されました。
その後、メタルバンドのMetallica(メタリカ)やMegadeth(メガデス)にハマり、ヘビーメタルやハードロックに目覚めていきます。
かつては、メタルのコピーバンドで、ドラムを担当していたこともあるようですね。
また、メタリカの影響で、ギブソン社の「エクスプローラー」という変形ギターを使っています。
バンド結成当初にいたギタリストのシンちゃんが脱退したことをきっかけに、TAKUMAさんはボーカル兼ギターを担当することになりました。
太い声が魅力的で、10-FEETのほとんどの楽曲を手がけています。
シンちゃんは TAKUMAさんの小学校の同級生だったそうで、メタル以外は聴かないほどの筋金入りだったので、その影響でTAKUMAさんもメタル好きになりました。
そんなシンちゃんが持ってきたのが、Hi-STANDARDの「GROWING UP」というCDです。
明るいメロディでありながら、16連符を弾いていることに衝撃を受け。TAKUMAさんはどんどんHi-STANDARDの虜になります!
10-FEETの歴史
1996年に京都府で10-FEETを結成し、府内を中心にライブ活動をおこない、オリジナル曲のデモ音源を制作します。
ライブの評判は良く、会場で販売したデモ音源は、毎回売り切れになっていたそうです。
2000年末に上京した3人は、共同生活をはじめ、体重が10キロ落ちるほど過酷な日々を送ったそうです。
音楽で食べていくために京都で仕事を辞めて上京したのですが、レコーディングとツアーでほとんど家にいないので、2002年11月頃に再び京都に戻っています。
ちなみに上京を決意したきっかけは、ラジオ番組に出演した際、「こっちで活動すればいいのに」といわれたことでした。
しかし、いざ上京すると「本当に来ちゃったの!?」と冗談だったことがわかったそうです(笑)
2001年にCDデビューを果たし、2002年4月にはデビューアルバム『springman』を発売しました。
『springman』は大きなヒットにはなりませんでしたが、ツアーチケットは全席ソールドアウトするほどの人気でした。
2002年10月にリリースされた3枚目シングル『RIVER』は、オリコンシングルチャートに何度も登場するロングヒットとなりました。
翌年メジャーデビューして以降は、チャートの常連となり、大型フェスでもトリを務めるようになりました。
主催している音楽フェス『京都大作戦』も、ほぼ毎年夏の風物詩として開催されています。
TAKUMAは結婚歴は?嫁や子供はいる?
TAKUMAさんは2023年現在、結婚していないようですね。過去に結婚暦も無いので、お子さんもいないようです。
TAKUMAさんは48歳という年齢からも、結婚しているか気になるファンが多いようです。
そして、彼女についても情報がありませんでし。
メンバーのNAOKIさんとKOUICHIさんは、すでに結婚してお子さんもいるようです。
2人ともHi-STANDARDのファンで、その縁で巡り合ったそうですよ。
TAKUMAさんのみ独身のようですが、ただ発表していないだけで実は結婚していた、というパターンもありえるかもしれませんね。
以前のフェスではMC中や曲中に、”タクマ彼女いない”といじられていたくらいなので、しばらくいないのかもしれませんね。
ちなみにネット上では、よく「ふゆこ」という名前が出てきますが、MC中にふゆこなる人物についてトークがあったのでしょうか。
元カノなのかもしれませんが、現在ふゆこの詳細はわかっていません。
TAKUMAの父親はバンドマンで音楽一家だった?
TAKUMAさんのお父さんも、かつてはバンドを組んでいたそうです。
名字の「三田村」から文字って、「サンダーズ」というバンド名で活動していました。
そして、お母さんやお姉さんも歌をしていて、音楽一家だったようですね。
お父さんは、サンダーズで作詞作曲を担当しており、ギターも得意だったそうですよ!
しかし、息子のTAKUMAさんには、「ギターをやるとバンドをやるから」という理由で、絶対に教えなかったそうです。
というのも、音楽で食べていくのは非常に難しく、プロになっても苦労する厳しい世界なので、息子を危険な目にあわせたくなかったようです。
息子の才能に気づいていたからこそ、あえてギターを教えなかったのかもしれません。
お父さんには、なんとメジャーデビューの話もあったそうですよ。
しかし、音楽で食べていくのは厳しいとわかっていたので、デビューを断ったそうです。
そして高島屋に就職し、アパレルの世界で働きはじめたそうです。
お父さんから音楽への道を反対されていたTAKUMAさん。しかし、「別冊カドカワ」の10-FEET特集の号が発売された際は、とても喜ばれたそうですよ。
お父さんは、「悲しい時も、辛い時も素晴らしい心模様で歌え」と諭したそうです。
父と絶縁していた?
幼少期のTAKUMAさんは、お父さんの真似をして、何度もギターを触っていましたが、「あの世界には行かさん!」と何度も言われたそうです。
お母さんも高島屋で働きながらコーラスをやっており、姉もアパレル勤務で趣味で歌っていたそうですが、2人ともとても上手だったそうです。
子供心にTAKUMAさんは、「自分だけが下手くそだ」と思っていたそうです。
「服と歌の一家」と振り返るTAKUMAさんは、いつも音楽がそばにいる家庭で育ちました。
お父さんは学生時代、硬派で札付きのワルだったそうで、卑怯ないじめをするやつらを毎日空手でボッコボコにしてしていたそうです。
女性にモテモテだったお父さんですが、お母さんいわく、かなりの奥手でデートで何にも話せず、最終的にラブソングを贈られたそうですよ。
そのときの曲は、家で弾きがたりしたこともあったそうで、TAKUMAさんは息子ながら感動していたそうです。
そしてお母さんへプロポーズするときも、アイスコーヒーのストロー紙に「結婚して下さい」と汚い字で書いて渡されたそうです。
お母さんは結婚してもずっと、そのストローの紙を残していたそうですよ。素敵な話ですね!
お父さんは高島屋の音楽部でグループサウンズバンドのギターボーカルを担当しており、お母さんがコーラス部のヒロイン的存在で、一目惚れをして声をかけたそうです。
そんな素敵なご家族でしたが、お父さんが借金をしたことがきっかけで、家族や親戚はバラバラになってしまいます。
TAKUMAさんとお姉さんは、お母さんと暮らすようになります。
母と姉は東京へ仕送りもしてくれたそうですが、25歳の時にお母さんの勤務先が倒産して、TAKUMAさんはバンドを辞めて就職することになったそうです。
しかしその2、3ヶ月前に、ファーストアルバムが売れたことで、奇跡的に母と姉を支援できるようになったそうです。
もしこのファーストアルバムが出ていなければ、10-FEETは無くなっていたかもしれませんね。
そして、15年の月日が流れ、お父さんに再会し、少しずつ連絡を取り合う様になりました。
京都大作戦に両親を招待したり、また家族で集まるようになれたそうですよ。
そんなお父さんは、2020年5月に肝臓の病気でこの世を去っています。最後に家族の絆が取り戻せて、本当によかったですね。
まとめ
今回は、TAKUMAさんの家族構成について、紹介しました。
TAKUMAさんは、両親とお姉さんの4人家族で生まれ育ち、父はバンドマンで音楽一家だったそうです。
2023年現在も結婚しているという情報はなく、独身でお子さんもいないようですね。
今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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