多田修平選手といえば、2017年ころから頭角を現し、日本陸上界のプリンスとも言われています。
強豪ぞろいの男子短距離走界の中、東京オリンピックの日本代表にも内定し、実力派トップクラスですね。
そんな多田修平さんが、どのような学生時代を過ごしてきたかが気になりますよね。
今回は、多田修平さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
多田修平の学歴を調査!出身小学校や中学校はどこ?
大阪府東大阪市出身の多田修平さんは、東大阪市立石切中学校に進学しています。
石切中学校は陸上部が強豪校として知られており、部員数はなんと75人以上の大所帯で、例年全国大会にも出場しています。
しかし、多田修平さんは中学時代にあまり成績が良くなく、全国大会には程遠い選手でした。
小さい時から鬼ごっこが大好きで、小学生時代はかけっこで学年2~3番くらいの速さだったそうですよ。
中学校で陸上部に入部したことで、陸上競技に目覚めた多田修平さん。
純粋に走ることが大好きな選手だたので、これといって目立った成績は残せませんでした。
今や日本のトップクラスといえる選手でも、中学時代はあまり目立っていなかったというのが驚きですね。
大阪中学校総合体育大会では、11秒52の記録で5位に入賞しています。県で見るとかなり早いですが、全国レベルには届かないそうです。
短距離走の世界は厳しいのですね・・・
現在は陸上短距離100m走で注目されていますが、多田修平さんがすごいのはなんといってもスタートダッシュです。
スタートの合図に対し反応もすさまじく早く、スタート直後の加速の勢いがすごいのです。
2017年5月21日、川崎市等々力陸上競技場で開催された「ゴールデングランプリ川崎」では、金メダリストのジャスティン・ガトリン選手より50メートル近く先行するスタートダッシュを見せました。
ガトリン選手もこれには驚いたそうで、「誰だか知らないが隣で走った選手はスタートが素晴らしかった」と語っていました。
このときが、多田修平さん衝撃のデビュー日となったのですね。
トレーニングにも力を入れているようで、スタートの際は、スターティングブロックに足をはめ、膝を低く前傾にし、腕に全ての体重が乗るようにしています。
スタート直後は脚を大きく上げず、地面すれすれの位置で前に運んでいくのがポイントだそうです。
多田修平さんは歩幅よりも、ストロークの回数を重要視しているそうです。
そして、序盤~中盤にかけて、だんだんとギアチェンジし、加速してくようにしています。
多田修平の出身高校は大阪桐蔭!エピソードも
多田修平さんは中学卒業後、大阪桐蔭高校に進学しています。
大阪桐蔭は甲子園でも有名ですが、実は陸上も全国大会の常連校なんです。
高校3年生のときに、高校総体に出場し、だんだんと才能が開花しました。
大阪桐蔭陸上部の顧問からは、練習日誌をつけるように勧められたそうで、練習日誌を毎日つけるようになります。
まずは大きな目標を決めて、1日、1週間、1か月と細かく目標を分けていくものだそうです。
毎日日誌を書くことにより、だんだん目標とやるべきことが刷り込まれていったとか。
地道な努力を重ねて、高校3年生のときには、インターハイ6位という輝かしい成績を残します。
「僕は大阪府大会で5位通過、近畿大会も5位通過でどちらギリギリだったんです。そこ片インターハイで6位に入ったんですが、高校時代は全国レベルで優勝できるとは考えなくて、大学に入ってからある程度の成績が残せればいいかなと考えていました。」
芸能人学歴.comより引用
現状維持ではなく、さらなる高みを目指して大学への進学を決めたのですね。
多田修平の出身大学は関西学院大学!学部は?学生時代のエピソードを確認
高校卒業後、多田修平さんは、兵庫県西宮市にある関西学院大学法学部へ進学しました。
多田修平さんは関西が大好きだったので、実家から通える関西学院大学を選んだようですね。
スポーツ推薦ではなく一般推薦だったそうで、総体で好成績を出してからは強豪大学からもオファーがあったのですが、初志を貫いたといいます。
大学は社会に出る前の準備期間と思い、自立心を養う場所と考えていたそうです。
陸上部は学生が自分たちで練習メニューを考えるそうで、そのスタイルがとても多田修平さんに合っていたそうです。
筋肉トレーニングは高校時代に取り組んでいなかったのですが、大学から筋トレに励み、体重は65キロまで増えたそうです。
そして、大学3年生の時には、10秒7台⇒10秒0台まで記録が伸びました。
学業との両立を自分でも目標にしていたのでおろそかにすることはありませんでした。練習で疲れているので家に帰ってからはご飯を食べて寝る生活でした。
なので授業は集中して臨み、試験前には図書館や空き教室で練習の合間に5、6時間勉強していました。
政治学のゼミでは何度か発表をする経験を通じて人前で堂々としゃべれるようになりました。
スポーツ報知より引用
大学生活はとても充実していたそうで、ゼミや体育会を通じてできた友人とは、いまでも仲良しだそうです。
3年生の時に注目を集めたために、大学4年生になると良い記録を出さないといけない、というプレッシャーを感じていました。
ライバルも多く焦りも出てきてしまい、基本の練習メニューがなかなかできず、調子がでないときもあったそうです。
関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)でも記録を残すようになり、この頃から日本代表として世界を舞台に戦いたい、という意識になったそうです。
2017年には多田修平さんが初めて海外合宿に参加し、ジャマイカのアサファ・パウエル選手との合同練習をおこないました。
その結果、ゴールデングランプリ川崎で3位入賞という、輝かしい成績を残しました。
その翌月の日本学生陸上個人選手権大会では、準決勝で優勝し、日本選手権ではサニブラウン選手に次ぐ2位となり、世界選手権大会日本代表にも選ばれます。
世界選手権の4×100mリレーで第1走者を務め、銅メダルを獲得し、自身初のメダル獲得となりました。
「初めて日本代表に選出され、日の丸を背負って走り、銅メダルを獲得できたことは非常に印象に残りました。」
住友電工陸上競技部より引用
まさに大学時代は、多田修平さんにとって飛躍の年になったわけですね。
大学時代は実家で暮らしていたのですが、卒業後、住友電工に就職してからは東京で練習するために初の1人暮らしを始めます。
料理も自炊しているのですが、食器洗いがどうにも苦手です(笑)。幸い陸上に専念できる環境を用意していただいており、今年は良い形でシーズンのスタートを切ることができました。6月末の日本陸上競技選手権、9月から10月にかけての世界陸上競技選手権(カタール・ドーハ)に照準を合わせ、調整していきます。
スポーツ報知より引用
社会人になってもどんどん記録を伸ばし、2021年も好成績を残しています。
6月におこなわれた布施スプリントでは自己ベストの10秒01をマークし、日本選手権では山縣選手や桐生選手をおさえて、見事東京オリンピック日本代表に内定しています。
9秒台をたたき出す選手が4人もいる中でつかみ取った優勝。今後の多田修平さんに大注目ですね。
まとめ
今回は、多田修平さんの学歴について、紹介しました。
大学時代まで関西で過ごし、大阪桐蔭高校、関西学院大学時代から頭角を現していたようですね。
陸上を始めたのは中学生と意外にも遅かったのですが、着々と記録を伸ばし、現在の活躍に至ります。
これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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