【画像】大森元貴の卒アルを確認!中学時代はいじめで不登校だった?部活はサッカー部!(Mrs. GREEN APPLE)

大森元貴さんといえば、Mrs. GREEN APPLEのギターボーカルとして活躍していますよね。

作詞作曲のセンスと歌唱力の高さで、ミセスを一気に人気バンドに押し上げました。

そんな大森元貴さんの、卒アル画像があるのか、気になりますよね。

今回は、大森元貴さんの卒アル画像について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

【画像】大森元貴の中学時代の卒アルを確認!いじめで不登校だった?

大森元貴さんの出身中学校は、西東京市立田無第四中学校です。

卒アル画像は残念ながら公開されていませんが、当時の写真ならありました!

メンバーの若井滉斗さんは、中学時代の同級生で、当時から仲良しだったようですね。

大森元貴さんはお兄さんの影響で、幼少期からよく音楽を聴いていました。

音楽一家というわけではないものの、父もドラムをやっていたりと、音楽に馴染みのある家庭で育ったそうです。

ギターは中学1年生のときに、ベースは小学校6年生から始めたそうですよ。

大森元貴さんは、目立ちたがり屋な子供だったそうで、前に出るために音楽が必要だと思ったそうです。

小学生のときにはすでにバンドを組み、卒業式では謝恩会でMONGOL800の曲と、オリジナル曲を披露します。

そのとき、人前で表現することの快感を覚えたそうです。

当時のバンド名は「1733(ワンセブンダブルスリー)」で、同級生と隣のクラスの担任教師で結成したそうです。

そのときに、「これだな!」とビビッときたそうですが、友人が引っ越したことで、自然消滅してしまったそうです。

小学校の卒業文集には、「将来はミュージシャンになる」と書いたそうで、有言実行しているのがすごいですよね!

中学時代は不登校だった

中学時代には、すでに音楽でご飯を食べていくという気持ちが強く、「勉強は必要ない」とも思っていたそうです。

また、学校に軽音楽部がなかったので、先生に相談したところ、ひどい断られ方をされたので、ショックで学校に行かなくなってしまったそうです。

これはちょっと残念な気持ちになりますね。

ただ、大森元貴さんは家に閉じこもっていたわけではなく、ひたすら曲作りをしていたそうです。

また、事務所にオーディションを受けに行ったり、本気で音楽活動をしていたそうですよ。

この時お兄さんに「学校へ行け!」と殴られたり、両親に心配をかけたそうですが、不登校期間は短かかったそうです。

事務所のオーディションに合格し、ライブハウスで演奏している様子を家族に見てもらったことで、音楽に真剣に取り組んでいるのを理解してもらえたそうです。

最初は反対した家族も、大森元貴さんの演奏を聴いて、音楽の道に進むことを認めてくれたそうですよ。

その時にはすでに、30~40曲のオリジナル曲をつくっていたと言いますから、驚きですよね!

同級生の若井滉斗さんは、大森元貴さんが曲を作っていると聞いて、興味津々だったそうです。

若井滉斗さんから話しかけて、動画サイトにアップした曲を聴き、衝撃を受けてファンになったそうですよ。

大森元貴さんは、キラキラした陽キャの若井滉斗さんが苦手だったそうですが、修学旅行で同じ班になったことで仲良くなり、バンドを組むことになったそうです。

【画像】大森元貴の高校時代の卒アルを確認!

大森元貴さんは中学卒業後、通信制の高校に進学しています。そのため、卒アル画像はありませんでした。

高校がどこだかは不明ですが、都内の学校だと思われます。

高校1年生のときには、バンド「GROWLY BAMBI」を結成しています。

学生時代から音楽に本気でない人が苦手で、”楽しければ良い”ではなく、”本気で長くできるバンド”を目指していたそうです。

「GROWLY BAMBI」は、高校1年生の年末までに解散してしまい、その後「Mrs. GREEN APPLE」を結成します。

メンバーの入れ替えはありながらも、高校生離れした技術の高いバンドを作り上げました。

その結果、大森元貴さんが高校卒業後2日後には、メジャーデビューが決まったのです。

中学生の頃から自分の世界に浸っていた大森元貴さんは、高校時代も洗練されたバンドを作り、”人生2周目では”などと言われています。

通信制高校を選んだのも、「高校生の間にメジャーデビューしたい!」という思いが強かったからのようです。

「Mrs. GREEN APPLE」を結成した際は、1番初めに若井滉斗さんを誘ったそうですよ。

2人は高校が別々で、疎遠になっていたのですが、久々に再会して「お互い一緒に音楽をやりたい」と思ったそうです。

そして、同じ事務所だった藤澤涼架さん、山中綾華さん、高野清宗さんに声をかけ、「Mrs. GREEN APPLE」が始動しました。

初めから、「メジャーデビューをする一生続けられるバンド」と考え、集められたメンバーだそうです。

大森元貴さんは高校卒業後、大学には進学せず、「Mrs. GREEN APPLE」の活動に専念しています。

メジャーデビューが決まった際は、喜びよりもまず「じゃあ次はどうしようか」と、真剣な話し合いが始まったそうです。

デビュー5周年だった2020年7月には、活動を休止し、大森元貴さんは2021年にソロ歌手として活動を始めています。

その後、2022年にはミセスの「フェーズ2」がスタートし、新たに3人体制で活動しています。

大森元貴の学生時代の部活はサッカー部?

中学時代はサッカー部に在籍していた大森元貴さんですが、不登校気味だったので、ほぼ幽霊部員だったそうですよ。

ミセスのギター担当・若井滉斗さんも、サッカー部で一緒だったそうです

若井滉斗さんは、小学校から10年間サッカーをやっていたそうです。

ミセスが第97回全国高校サッカー選手権大会の応援歌『僕のこと』を手掛けた際は、誰よりも興奮していたそうです。

全国高校サッカー選手権というのは、誰もが目指す場所ですし、今回は応援歌として携わることができて、聞いた時は、まず「えー!」と驚きがあり、そしてメチャメチャ純粋に嬉しかったです。毎年家族で見ていましたし、すぐ親に連絡しました(笑)。喜びと責任感、いいものにしたいという気持ちです。
オリコンニュースより引用

大森元貴さんと若井滉斗さんは、中学の時に同じクラスだったので、合唱コンクールも一緒に歌ったそうですよ。

そこから今同じステージの上に立つ、というのはすごいことですね。

若井滉斗さんが、本格的に音楽をやりたいなと感じたのは、中学校の時だったそうです。

Mrs. GREEN APPLEの前身バンドで卒業ライブを開催したときに、とても楽しいと感じ、10年やり続けたサッカーも辞めました。

初めて楽器に触れたのは中学2年生のときで、お兄さんのエレキギターを触って始めたのがきっかけだったそうです。

大森元貴さんとおなじく、独学だったのですね!

ちなみに大森元貴さんは、サッカー部だったのですが、バレーボールが1番好きだそうですよ。

『FIVB パリ五輪予選/ワールドカップバレー2023』の日本代表応援ソングを手掛けたときは、かなり興奮していました。

大森元貴さんの母がバレーボールをやっていたすで、活動休止中もメンバーを誘ってバレーボールをしていたそうですよ。

まとめ

今回は、大森元貴さんの卒アル画像について、紹介しました。

大森元貴さんの卒アル画像は、残念ながら公開されていなかったものの、当時の写真を見るとあどけなくて可愛らしいですね。

中学時代は不登校になるほど音楽制作に没頭し、高校時代にミセスを結成し、すぐにメジャーデビューを果たしています。

今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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