活動休止中のアイドルグループ「嵐」のメンバーで、俳優としてさまざまな作品に出演している、二宮和也さん。
バラエティ番組のMCをつとめたりと、その活躍っぷりは目覚ましいものがありますね。
そんな二宮和也さんですが、どのような学生生活を送っていたのか、気になりますよね。
今回は、二宮和也さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。
二宮和也の学歴を調査!出身中学は?学生時代にいじめにあっていた?
二宮和也さんの出身中学校は、地元の葛飾区にある新小岩中学校です。
二宮和也さんは兄弟がお姉さんのみで、近所に住むいとこも皆女子だったので、保育園のときからとても大人しい子供だったそうです。
中学・高校を通じて、部活動にも入ってません。
中学1年生の時に、ジャニーズ事務所に入所しましたが、もともとは芸能界に興味ありませんでした。
しかし、いとこが勝手に履歴書を送ったことで、オーディションに参加することとなります。
オーディションの日は、野球の試合と重なっていたため、断るつもりだったのすが、母親に「人に何かを見てもらうことはなかなかない」と説得されます。
さらに、「5000円をあげるから」と猛プッシュされ、二宮和也さんは喜んでオーディションに行ったそうですよ。
オーディション会場では、二宮和也さんは踊らずに後ろで見ているだけだったのですが、そのときジャニー喜多川氏に「なんで踊らないの?」と聞かれます。
すると二宮和也さんは、「見りゃわかるじゃん。狭くて踊れない」と悪態をついてしまいます。そのときは、ジャニー喜多川氏だと思わなかったそうです。
結果的にジャニー喜多川氏に見初められて、オーディションに合格したのです。
ジュニア時代は自分を表現することが苦手で、ドラマのオーディションも落ち続けたそうです。
しかし、中学1年生の終わりごろからドラマに出るようになると、演技力が高く評価されます。
中学2年生だった1997年、1996年入社組の松本潤さんや相葉雅紀さん、生田斗真さんと「MAIN」を結成しています。
このユニットは将来有望と言われ、ジャニーズ事務所もテレビ局などに猛プッシュしました。
しかし、最も売れていた生田斗真さんが、俳優としての仕事で多忙になったため、2年ほどで活動休止となりました。
他にも二宮和也さんは舞台などに出演し、中学時代はかなり多忙だったそうです。
いじめを受けていた
二宮和也さんはギターを始め、バンドを組みたかったのですが、友達が少なかったため断念したそうです。
そして、当時いじめを受けていたことを明かしました。
小学校の中学年~ジャニーズに入るまでの長い間、ずっといじめられていたとか。
人間付き合いが得意ではなかったそうで、学校ではなく、地元の少年野球チームで話すのが、ガス抜きになっていたそうです。
また、祖父が営む工場の社宅に住んでいたので、従業員に遊んでもらっていたことから、年上の俳優と気さくに話せることにつながっているそうです。
実際はいじめられていて大変な思いもしたそうですが、そこまで気に病んでいたわけではないとか。
親にも相談はせず、飄々と過ごしていたそうです。
続けて、自身のベースとして「人とのスペースの取り方が気にならない場所にいる」「第三者的に見てる立ち位置というか気にされないように立ち回ってたと思います」と現在の現場での立ち振舞にも影響しているかもしれないとし「それは傷ですね。小さい頃からの」と吐露した。
Yahooニュースより引用
二宮和也さんは、自身のYouTubeチャンネル『ジャにのちゃんねる』でもイジメについて話しており、「まったく怒らないし、なんとも思ってないが、なぜいじめようと思ったのか聞きたい」と話していました。
当時からどこかオーラがあって、目立っていたらかもしれませんね。
二宮和也の出身高校は立志社高校の通信制?
二宮和也さんは、中学校卒業後、立志舎高校通信制課程に進学しました。
全日制、通信制とありますが、二宮和也さんは、週1日のみの登校で良い通信制を選んでいます。
吉澤ひとみさんや赤西仁さん、A.B.C.-zのメンバーの母校でもあります。
二宮和也さんは、あまり勉強が得意ではなかったのですが、高校だけは最低限卒業しておこうと思ったそうです。
また、二宮和也さんが入学したのは設立された年だったので、第1期生にあたります。同学年の生徒も少なかったそうですよ。
当初は、松本潤さんと同じ堀越高校トレイトコースを検討したのですが、自分のペースで勉強できる通信制を選んだそうです。
「(松本)潤くんみたいに、同級生の話とかしたかったな(笑)。最低限高校だけは卒業しておこうって気持ちだったから、みんなから半年遅れても卒業できる学校にしたの。」
モデルプレスより引用
そのため、青春っぽい思い出や、恋愛もしていなかったそうですよ。
高校は私服でも登校可で、二宮和也さんは制服を着るのが面倒だったため、私服で登校していました。
しかし後に、制服を着たかったと後悔しています。
勉強はあまり得意ではなく、数学が苦手だった二宮和也さんですが、国語はテストで100点をとったこともあるそうですよ。
高校時代もあまり友人はおらず、ひとり行動が多かったそうです。
また、授業中にゲームばかりやっていたので、他の生徒から「ヤンキー」と呼ばれていたそうです。
高校生活はあまり充実していなかったようで、「何やってもおれのせい」という時期があったそうです。
何か物がなくなっても、二宮和也さんのせいになったりと、つらい記憶を語っていました。
いじめに対し、二宮和也さんは、「何もリアクションをしない」と決めて、だんだんいじめはなくなっていったそうです。
「その高校のいじめ自体が解決したわけではなく他の子に的が移った。だから、おれの中で終わってない」二宮和也はまだ高校であったいじめの過去を引きずっている様子。
モデルプレスより引用
嵐としてデビュー
高校時代の二宮和也さんの活躍はすさまじく、高校1年生のときに嵐のメンバーに選ばれました。
メジャーデビューを果たすと、瞬く間にトップアイドルとなりました。
嵐のメンバーは当初、圧倒的人気だた滝沢秀明さんや今井翼さんを中心に、選定されていました。
しかし、ジャニー喜多川氏の構想が変更され、櫻井翔さんと二宮和也さんを中心に、メンバーが選ばれたのです。
ただ、当時二宮和也さんは、演出や制作などの裏方仕事に興味があったので、「嵐が期間限定のグループ」と聞いたため、メンバー入りを了承しています。
グループ活動以外でも、俳優として話題のドラマに立て続けに起用されています。
しかし二宮和也さんは、嵐、そしてジャニーズ事務所も辞めようと思っていたそうです。
ジャニー喜多川氏にも宣言し、ワールドカップバレーボールが終わる頃に辞めようと思っていたそうです。
また、東京ドームでのお披露目公演では、リハーサル中に振付師にひどく怒られ、トイレに籠って号泣したこともありました。
「辞めるって言っているのに、なぜこんなに怒られるのか?」と、悲しくなってしまったそうです。
その際、櫻井翔さんが励ましてくれたので、リハーサルを続行しました。
二宮和也さんは、持病で坐骨神経痛をもっており、それもあってうまく踊れず、ジャニーズを辞めたいと思っていたそうです。
実は、バック転が原因で、持病が悪化してしまったのです。
テレビの収録では、座布団が用意されていたり、杖をついていたときもあったそうです。
苦労していたことに、驚きですね。
二宮和也は大学に進学した?高校卒業後の進路は?
二宮和也さんは高校卒業後、大学に進学せずに、芸能活動に専念しています。
高校に入学した直後から、嵐としても俳優としても大忙しになり、仕事に専念することにしたようですね。
嵐はデビュー以降、瞬く間に人気となりましたし、初の主演映画「ピカ☆ンチ」も控えていました。
二宮和也さんは、作詞・作曲もおこなえるので、嵐の中でもソロ曲が多いです。
その後出演した映画「硫黄島からの手紙」では、アメリカでも演技が高く評価され、ジャニーズ事務所所属のタレントで史上初となる日本アカデミー賞にノミネートされました。
以降もアイドル、俳優、タレントとして、幅広く活躍しています。
まとめ
今回は、二宮和也さんの学歴について、紹介しました。
二宮和也さんは地元の中学を卒業後、通信制の立志舎高校進学し、大学には進学しませんでした。
学生時代にいじめを受けていたことを告白しており、辛い経験をしていたことには驚きましたね。
今後の活躍にも注目ですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。
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